Diary01
「賭け」に出ること
大学院 卒業見込み/基礎理工学専攻
エントリーシート提出
2024年03月12日(火)
理系であるにもかかわらず出版社を目指した理由は今でもはっきりとは答えられない。
ただ、自分が本を読む理由だけは、はっきりと自覚している。それは、子どもの頃から感じ続けている「豊かなものから自分だけが疎外されているようなさみしさ」を、なんとかしたいからだ。みんなが地元のお祭りに行っているのに、自分だけが家で留守番をしているような、そういう独りぼっちの「さみしさ」を。だからその理由に誠実に、ESでは「豊かさから人を疎外するものに抗う手段としての本」という図式を前面に押し出すことにした(凡庸な図式だけど)。『スマホ脳』や『プロ倫』(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)などの本も交えつつ、語彙もできるだけ具体的にすることで、独りよがりな印象だけは与えないように意識した。結果的に出来上がったESは、(やはりと言うべきか)抽象的でかなり風変わりなものになった。しかし今振り返ってみれば、面接で一番気持ち良く話せたのはそういう抽象的で図式的な話題だったわけだから、自分に嘘をつかなかったのは良かったのかもしれない。
適性検査・知能テスト(Web実施)
2024年03月19日(火)~28日(木)
数学にせよ何にせよ、問いと向き合う中でやってくる「朧げな感覚」こそが「本当」である、というのが理系の学生として自分がずっと大切にしてきたポリシーだった。
しかし、Webテストを受けるにあたって、そのポリシーはいったん全て脇に置くことにした。Webテストは「感覚」よりも、「戦略」とか「テク」とか、そういう再現性を担保するものの方がさすがに大事になってくるからだ。こうなると仕方がないので「質よりも量をこなす」という、浪人生のときに自分に言い聞かせ続けてきた教訓に従うことに決めた。ついでに、「尿意を少しだけ我慢するとゾーンに入れる」という浪人時代の「ライフハック」も久しぶりに思い出した。Webテストの対策は、正直モチベーションが湧かなかったけれど、淡々と「量」をこなす中で生まれる「リズム」のようなものは、それ自体が快楽で、その感覚が、懐かしかった。
一次面接
2024年4月17日(水)
面接はあえて、想定質問に対する答えを一切事前に用意することなく望んだ。
就活マニュアル的な「正解」をなぞることに意識が集中するあまり佇まいが硬直するくらいなら、出たとこ勝負の「賭け」に出るような気持ちで話す方が、むしろ相手にとっても誠実であるような気がしたからだ。
「理系なのにどうして出版社?」という、一次面接で聞かれた質問(これに対する答えは、正直今でもバシッと定まっていない)にも、自分の思考を絶えず規定している語彙を足場にして、(その場しのぎのような感じで)答えを紡いだ。自分専用にチューニングされたその語彙は、他人と共有するにはさすがに歪だったためか、面接官が少しニヤっとしたような気がしたけれど、それは誠実であるための「賭け」の結果なので、後悔はなかった。
二次面接
2024年4月24日(水)
席に着くや否や、いきなり面接官が一言。「あのーYouTubeとかって、普段見ます?」これには何だか拍子抜けした。あれ、自己紹介とかのターンはないの?と。その場の雰囲気もとてもリラックスした感じで、いい意味で出鼻を挫かれたような形だった。
面接は終始、喫煙所で世間話をしているみたいなゆるいトーンで進んだ。「一人称が『僕』のESってさすがに見たことがないんだけど何か意図があるんですか?」、「新潮社でYouTubeチャンネルを始めるなら誰に出てもらいます?」。就活生が事前に想定するようなありがちな質問はひとつも来なかった。しかしリラックスした雰囲気のおかげで、会話をしながら脳の中にある自分の語彙が隅々まで使われているような、そんな心地の良いフローに乗れたような感じがした(やや饒舌で「何様」だったかもと後で少しだけ反省した)。とにかく面接の15分間が、不思議と愉悦だった。
三次面接
2024年5月8日(水)
「今日は、服装が何だかカジュアルですね」
ここまでの面接は、3回とも全てジーパンにコンバースという私服で臨んでいた(さすがに3回目だったので、会場で周囲からかなり浮いていたことは自覚していた)。しかし、特に確固たるポリシーがあって私服で来ているわけではなかっただけに、改めて指摘されるとやや気後れした。
これまで2人だった面接官も5人に増えていて、「いよいよ三次面接まで来たのか……」という感じがした。
面接では、ショート動画を使った宣伝施策やバーテンダーとして働いていたときのエピソードなど、自分の中でぼんやりと「スタメン」にいたトークは、全て話した(やや文脈からずれていても無理矢理ねじ込んだ感じはあった)。ここまで来ると、もはやどこを基準に評価されているのか、何を話すのが正解なのか、さっぱりわからなかった。ただ、マニュアルがないからこそ生まれる、語りの「勢い」みたいなものは味方につけることができたような、確かな手応えは感じた。
最終面接
2024年5月13日(月)
部屋に入ると、横一列に並んだたくさんの大人たちが醸す重々しい雰囲気にいきなり面食らった。おまけに「今日は私服じゃないんですね」という「これまでのこと全部バレてるぞ……」みたいな指摘を受けていきなり怯んだ(バチが当たったと思った)。
面接は基本的にはESに基づいて行われた。何を答えても面接官たちの反応は重く、手応えのない時間がしばらく続いた(「暖簾に腕押し」というフレーズをわけもなく脳内で反芻していたことを今でも覚えている)。
「出版業界が厳しいこの現状で、書き手は全然豊かになっていないけれど、どう思う?」というESの図式を根本からエグってくるような質問もあった。
しかし、バーテンダーとしての接客術についての話をしている辺りから、場の雰囲気がだんだんと和やかになっていくのを感じた。面接の終盤に、量子力学の解釈について話をしているときには「本当の自分は理系オタクなのではないか」と自問してしまうくらい饒舌になることができていた。これで落ちたのなら、まあ仕方ないか。終わってからそんな風に思えたことが、嬉しかった。
「賭け」の結果は、清々しく待つことができた。
面接会場に着て行ったデニムのバギーパンツ(ユニクロのレディース)。
内定の電話を受けたJR中野島駅前のドトール。足場のない不確かさの中を泳ぎ続けるような「賭け」の就活が終わり、ようやく陸に漂着できたような気がした。
20〜25歳という時期を共に過ごした多摩川。ここを歩く時間だけは本当に自由で、それさえあれば他にはもう何もいらないんじゃないかと思える。