S・Rさん
2020年入社。
広告部を経て、2024年より新潮編集部。
S・Rさん
2020年入社。
広告部を経て、2024年より新潮編集部。
新潮社といえば夏の文庫フェアや週刊誌が有名で、“文学といえば”なオーセンティックさも大きな売り、商店街の2階にある喫茶店のようなイメージでした。入社した年のコロナ禍に『ペスト』が売れて、この会社には文学を見渡す大きな窓があり、その歴史に敬意を払って下さる方が多いことも働くうちに実感しました。スタバでもベローチェでもない、しかしレトロ売りの純喫茶でもないのが面白いところで、何かをしなければ、よりも何をしようかな、が似合う会社だと思います。
最初の4年間は雑誌媒体の広告営業として、メーカーや代理店とイベント・商品開発施策など価値と数字の狭間で仕事をし、現在は所謂“純文学”と呼ばれる領域の入口的な現場にいます。文芸誌に掲載された作品はやがて単行本や文庫になって大勢の読者に読み継がれていくので、文芸部門は少なからず雑誌の構えと繫がっている。担当作家は若手からベテランまで幅広く、原稿を頂くのが小説家に限らないのも文芸誌らしいところです。編集者の仕事は極端に言えば誰にどんな原稿を依頼して、その原稿に対しどんなリアクションをするかです(それが難しいのですが…… 異動当初は感想メール一通送るだけで一日が終わりました)。様々な書き手の原稿を受け取ってきた先輩方の懐は深く、「新潮」らしさの幅を広げながら王道仕事もできるありがたい環境です。
芥川賞と直木賞ともに受賞作無しというニュースがありました。出版に関係する数多の職業や立場の人がそれぞれ受け止めた話題ですが、作品に伴走する編集者として、自社の文学賞を運営する一員として、はたまた読書と無縁な友人も多い一個人として、考える出来事でした。文学とはどんなものか、社会は何を要請しているか、そして自分は何をしたいか。文芸誌編集部はメディア運営の側面もあるので、同世代が当たり前に小説や本を読むとしたらそれはどんな社会か、想像しながら働いています。
過去の「新潮」に学ぶことも沢山あります。
作品を世に送り出した後の作家から頂く「ありがとう」がいつも一番嬉しいです。校了直前は大変で、作家に泊まり込みの作業を要請することもしばしば。赤字の入ったゲラは何度も往復し、お互いの睡眠と健康を心配しあいながら、なんとか校了した作品がいくつかあります。その一つ、中西智佐乃さん『橘の家』が三島由紀夫賞を受賞したときは、当日の”待ち会”からの記者会見、その後の授賞式に至るまで、文学賞という出来事に帯同する歓びまで頂きました。
“デカい”ってただそれだけで強い。隅田川は広い河原がないから、建物が密集する町の真ん中で打ち上げているような花火は異物のようにデカい。低層マンションに囲われた路地では爆発音が乱反射する。360度から轟音が肌を貫いて怖い、デカさと恐怖は肌、たいてい体の表面にくる。目、指、鼓膜、表面が感じるデカさは強い、一瞬で消えたから花火だったのだと安心した。
いつもなんてことない車道に交通規制
初の観劇で度肝を抜かれた「NODA MAP」作品の戯曲刊行を待ちに待ち、ようやく手にした本の巻末に「初出」があったことに驚き、そこに記載された「新潮」になんだこれと思った、原体験の塊です。
野田秀樹「エッグ/MIWA ―21世紀から20世紀を覗く戯曲集―」
(受ける会社の事業や媒体、収益構造の下調べは徹底したうえで!)基本的に出版社やマスコミの仕事は、自分の企てや感想を言葉で相手に伝えることだと思います。メール一つもESも原稿も、元をたどればは一対一の言葉の交換で、その先に多くの人を動かす何かが始まる。この繰り返しです。あなたがこれまで何をどう受け取ってきたか、それをどう表現したいかを振り返ったうえで、新潮社を受けて下されば嬉しいです。