祝25周年! 後悔からの再出発、
挑戦を続ける新潮社コミック部門成長史
2026年に25周年を迎える新潮社コミック部門。そのはじまりから紆余曲折の挑戦の歴史、そして飛躍を続ける今抱く未来への展望について、創成期を支えたメンバーが語ります。
新潮社コミック部門ならではの魅力ややりがい、求める人物像等、就活生へのメッセージもお届けします。
祝25周年! 後悔からの再出発、
挑戦を続ける新潮社コミック部門成長史
2026年に25周年を迎える新潮社コミック部門。そのはじまりから紆余曲折の挑戦の歴史、そして飛躍を続ける今抱く未来への展望について、創成期を支えたメンバーが語ります。
新潮社コミック部門ならではの魅力ややりがい、求める人物像等、就活生へのメッセージもお届けします。
S・Tさん
(2001年入社)
コミック事業本部 執行役員
2001年にコミック編集室(現・コミック事業本部)に配属され(株)コアミックスへ出向。「週刊コミックバンチ」創刊、編集に携わる。
2010年にコアミックスと新潮社の提携を解消後、9月より新潮社オリジナルで再スタートした「月刊コミック@バンチ」にて編集長を務める。
以降バンチ編集部 統括編集長、コミック事業本部 副本部長等を経て、2025年より現職。
E・Jさん
(2002年入社)
コミック事業本部 副本部長/IP事業本部 IP推進室室長
2002年にコミック事業部(現・コミック事業本部)に配属され(株)コアミックスへ出向、「週刊コミックバンチ」の編集に携わる。
2010年、「月刊コミック@バンチ」編集部。
2013年、増刊号「ゴーゴーバンチ」を立ち上げる。
以降「ゴーゴーバンチ」編集長、「月刊コミックバンチ」編集長等を経て、2024年より現職。
O・Yさん
(2008年入社)
コミック事業本部 コミック出版部部長
2008年に中途入社しコミック事業部(現・コミック事業本部)へ配属。
2010年に(株)コアミックス出向を経て、9月より「月刊コミック@バンチ」編集部。
2013年、WEB漫画サイト「くらげバンチ」を立ち上げる。
以降「くらげバンチ」編集長を経て、2025年より現職。2025年11月スタートの漫画アプリ「くじらバンチ」立ち上げも担う。
新潮社のコミック事業は2000年の春頃スタートしました。
僕はちょうどその頃に行われた新潮社新卒採用の最終面接で落ちてしまって、とぼとぼ歩いていたら急に「明日来られますか?」と電話がかかってきたんです。
何の話だろうと思って行くと、当時の採用担当の総務部長と知らないおじさんがニコニコ待っていて、また面接を受けることになったんですね。
そこで「君は漫画が好きなの? 何の漫画が好きなの?」と聞かれ、『花の慶次』だと答えました。『北斗の拳』の原哲夫先生が、隆慶一郎さんの歴史小説『一夢庵風流記』(新潮文庫)を原作に描いた作品です。
幸運なことに、そのニコニコのおじさんがまさに『花の慶次』の担当編集者、集英社「週刊少年ジャンプ」5代目編集長を務めた堀江信彦さんでした。
ギネス世界記録にも登録されたジャンプの歴代最高発行部数を樹立した、伝説の編集長です。
この奇跡的な巡り合わせもあって合格し、新潮社から「1年後に創刊する漫画雑誌を担当してほしい。ついてはすぐにアルバイトしてくれないか」という急な話がありました。当時僕は院生で修士論文執筆中でしたが、合格後すぐにアルバイトすることになったわけです。
新潮社はこれまでコミックがなく、堀江さんが新設する漫画制作会社「コアミックス」のパートナーとしてスタートする構想でした。それでアルバイトの僕も、コアミックスの事務所開きの日に連れられて行きました。
この吉祥寺にあったオフィスで、コアミックス共同設立者だった原哲夫先生、『シティーハンター』の北条司先生ら、錚々たる漫画家の方々にもお会いしました。当時まだ皆さん30代40代とお若かったです。自分が子供の頃から連載やアニメがあったので勝手におじいちゃんだと思い込んでおり、驚きました(笑)。アニメ「北斗の拳」「シティーハンター」の声優・神谷明さんも役員でした。
いきなり漫画編集を任される不安よりも、こうした子供の頃から好きだった漫画やアニメを作ってきた方々と仕事をできることに対する「面白そうだな」という期待が勝り、新潮社で働くことに決めました。
そもそも自分がなぜこの追加面接に呼ばれたのかというと、面接で隆慶一郎が好きだと話していたのが一因だったようです。
僕はSさんが入社された翌年2002年入社です。「週刊コミックバンチ」は2001年5月に創刊しているので、僕が新卒採用の入社試験を受けていた2001年4月頃はバンチのバの字も頭になかったです。
もともと学校の先生になるつもりで、出版社は新潮社しか受けませんでした。なぜ新潮社だったかは一人暮らしの自宅本棚に司馬遼太郎さん、宮部みゆきさん、村上春樹さんらの新潮文庫ばかりだったから。
そのため面接は文芸志望で受けていました。でも、酒見賢一さんの歴史小説『陋巷に在り(ろうこうにあり)』の挿画を漫画家・諸星大二郎先生が担当した話など、「何かその辺りばかり掘り下げられるな……」と思っていたら、入社後に新潮社のコミック事業部への配属とコアミックスへの即出向が言い渡され、漫画編集者になりました。せっかく神楽坂に家を借りたのに吉祥寺に通うことになるとは思いもしませんでした(笑)。
僕は2人に遅れて2008年に、新潮社に中途入社しました。
もともと子供のための仕事をテーマに就職活動をしていて、2001年にポプラ社に新卒入社していました。ここで児童書「かいけつゾロリ」のアニメ化を機にコミカライズの企画が出て、別の漫画出版社に出向し漫画編集を徹底的に学びました。
その後子供向けの漫画雑誌を担当しましたが、数年続ける中で、子供向けは制約が多いことやある程度パターン化していくこともあり、違う漫画も作ってみたいと思うようになりました。そんなときに、ちょうど新潮社の求人を見つけたんです。
僕もSさんと同じで『花の慶次』が大好きで、世代的にもジャンプを夢中になって読んでいましたから、堀江さんのもとで勉強したい思いもありました。
ただ採用後最初の1年半ほどは、同じ吉祥寺のビルで別の階にあった新潮社コミック事業部でコミックスづくりを担当し、2010年にコアミックスに出向しました。
新潮社屋上より、創刊時にオフィスがあった吉祥寺方面を眺めて(左からSさん、Oさん、Eさん)
ちなみに「コアミックス」の名前の由来は、コミックとアニメを組み合わせた造語なんです。
このコアミックス時代はもう激動の日々でした……! 特に創刊の前は、寝袋を持ち込んで編集部で寝ることもありました。
まずは「週刊コミックバンチ」創刊に向けて、連載作品を決めていきました。
原先生の『北斗の拳』の続編として「蒼天の拳」、北条先生は『シティーハンター』を基にセルフリメイクした「エンジェル・ハート」に。
そのほか新潮社刊行のケン・グリムウッド『リプレイ』という翻訳小説があり、それを原作に「リプレイJ」という作品を、『空のキャンバス』の今泉伸二先生に描いていただきました。
連載陣は、過去にジャンプで連載していた方が多かったです。
もちろん僕は漫画編集は初めてで、ゼロから堀江さんに教えていただきました。
堀江さんの指導は特殊だったと思います。というのも、編集者が作品のプロットを毎週書くんです。ジャンプだと1号大体19ページという目安があって、それを1つの区切りとしてプロットを作成し、作家さんにネームのたたき台にしてもらう。
このプロットに堀江さんが厳しくダメ出しをするので、書いては直し書いては直しと、プロット道場のようなことを延々とやっていました。
覚えてます。大体WordでA4用紙2枚分くらいでした。19ページで起承転結を作るので、冒頭に気になる話をぽんと入れ、それを受けて真ん中を進め、残りの3~5ページは次回への引きを入れて終わる、と大体3ブロック位に分けて描いてました。
でも、「そうやって僕がセリフまで書いたプロットを作家さんに描いてもらうのはどうなんだろう?」と毎回疑問に思いながらやっていたように思います。
確かにEさんは否定的でしたね(笑)。
そうです(笑)。ですがもちろん、修業期間としてとても勉強になりました。物語の構造を理解できましたし、なにより作家さんの大変さを身をもって実感できました。週刊誌はとにかく来週のものを早く書かねばならず、時間がない中で編集者が極力協力する体制がありました。それこそ今週号の原稿が上がって作家さんもクタクタの時に次号の打ち合わせをし、「では明日ネームをください」というハイペースでしたから。
僕が加わった頃にはもうそのプロット書きはなくなっていましたが、編集者が作家さんに次号のプロットを滔々と話す打合せに同席したことがあって、やっぱり驚きました。
また、転職前は月刊誌の担当だったので、週刊誌のスピード感自体が衝撃的でもありました。月刊誌では作家さんがじっくり悩み作品を突き詰めていくところ、週刊誌は使う頭の回路が異なり、一瞬でバンバン決めていく必要があります。1週間で次の雑誌を出さないといけないので、編集者の動きも無駄がないですよね。
そうですね。編集者が言わば原作者になる体制は、作画に力を注ぎたいタイプの漫画家さんにも合っていたのだと思います。
このプロット書きで指導があった、全体の構成やつかみと引きの意識は、今の漫画づくりでも変わらず活きています。ただ現在、部員にはさせていません。
Eさんもよく言っていたように、「作家さんが生み出すことが一番大事」という方針に拠っています。
はい。僕が入社したのはちょうど創刊から1年後で、創刊に向けてじっくり準備した連載が一巡し、新しい作品も始める時期でした。そんなときに皆がずっと同じ方向を向いていいのかと。1年遅れの分、また違った視点も持てたと思います。
それこそサラリーマンの編集者の想像なんて超えないと、読者もきっと面白くないはずです。まあ、この編集部のスパルタ指導が大変すぎて、そこから抜け出すにはどうしたらいいかばかり考えていた面もあります(笑)。
僕は1、2年でそのやり方も半分やめ、ロジックから外れた作品作りも心掛けました。当時「中」と「外」という言い方をしていましたが、コアミックスの新人賞に応募してデビューした方や、少年ジャンプ系譜である「中」の作家さんではない、自分が仕事をしてみたい「外」の作家さんにもどんどん会いに行きました。
他にも、コアミックスが始めた「アートルーム」は同業他社の間でも有名でした。
「アートルーム」とは、コアミックスが吉祥寺の別のビルのワンフロアを借り切って、そこに原先生や北条先生の個室と、アシスタントが20~30人くらい作業できるよう用意した大部屋でした。アニメスタジオのような感じです。
ジャンプでは新人賞を獲った新人漫画家に大御所のアシスタント仕事をさせて、育てていくやり方があります。『SLAM DUNK』の井上雄彦先生も北条先生のアシスタントをしていたのは有名ですが、そんな風にアシスタントで腕を磨き次のヒット作家になっていく。堀江さんにとって、このジャンプ時代の成功体験を再現する一つの方法だったのでしょうね。
アートルームには編集者も頻繁に出入りしており、新人も常に相談をしやすい場なので、よくできた教育システムでした。
アートルームでは新人作家もレジェンドに囲まれて仕事するわけですから、モチベーションにもなったでしょう。何より、作家さんでアシスタントを確保できない、作業場所がない、と苦労される方が多いので、その解決策にもなっていたと思います。さすが作家さんが役員の会社だという印象を入社前から受けていました。
「週刊コミックバンチ」創刊から10年目、2010年に新潮社とコアミックスは、事業の方向性の違いでパートナー契約を解消することになりました。その交渉の場には自分はいなかったのですが、両社何度も話し合っての結論でした。
方向性の違いとは、コアミックスとしては『北斗の拳』のパチスロ展開が当たりIP運用に力を入れていった時期だったこと。
新潮社としては、IPには関われず、コミックスを売らないと利益になりません。しかし週刊誌の発行部数が創刊時の約72万部からこの頃には約14万部にまで下がり、コミックスでも赤字は回収しきれず、事業を続けるには体制を見直す必要がありました。
また現場の一人として、人気シリーズの外伝の掲載が多くなっていることも気になっていました。当然、人気コンテンツに重ねる作品作りは戦略として正しいです。でも、もっと自由にやってみたい気持ちも徐々に芽生えていました。
実は、僕やEさんは堀江さんからコアミックスに来る気はあるか聞かれました。新潮社を退社し、正式にコアミックスの社員になるかと。ありがたいお話でしたが、新たに挑戦をしてみたい気持ちもあり、お受けしませんでした。
それから「週刊コミックバンチ」は2010年8月27日発売号で最終号となりました。その誌面にて「月刊コミック@バンチ」のスタートを予告しています。
新潮社オリジナルで月刊誌を続ける宣言です。
といっても、編集長もラインナップもまだ全然決まってなかったんですよね……。
「週刊コミックバンチ」の最終号。
最終号に掲載された「月刊コミック@バンチ」予告。
この予告に出ている5作品しか決まっていませんでした。あ、多く見えるように神崎裕也先生の『ウロボロス ―警察ヲ裁クハ我ニアリ―』と、井上淳哉先生の『BTOOOM!』からは複数キャラを並べて無理くり盛り上げていましたね(笑)。
他にも継続が決まっていた、古屋兎丸さんの『人間失格』などです。
この『ウロボロス』は堀江さんにも褒められた作品でした。僕は当時今野敏さんの『隠蔽捜査」(新潮文庫)など警察小説が大好きで、その頃に神崎先生と出会い、2009年から始めた連載でした。
僕が担当した『BTOOOM!』も同じ頃から続いていた作品でした。こちらは「ロスト」など海外のサバイバルドラマが流行っていた時に企画した作品です。
2作とも後にそれぞれ実写ドラマ化、アニメ化されて大ヒットしましたが、このヒットの兆しがあったからこそ、新潮社で月刊誌が始められましたね。
はい、この方々は自分がやりたいと企画した「外」の作家さんです。もしコアミックスに属する「中」の作家さんたちとだけ付き合いをしていたら、続けていくことは難しかっただろうと思います。
編集長はまた外部の方に依頼することも考えましたが、最終的に僕が務めることになりました。部員は出向から戻った僕たちと、コミック事業部の先輩社員ら6、7人のスタートです。
この2010年9月に、ようやく吉祥寺から神楽坂に戻ってきています。でも、新潮社の近所の別のテナントビルでした。今はコミック部門も新潮社本社屋に移っていますが、当時は「まだ本社屋に通えないのか!」と思いました(笑)。
僕は本当に最後に加わっていたので、この再スタートでゼロから始められることにちょっとホッとしました。
とにかく自分たちが面白いと思ったものを作ろうと話し合いましたね。
週刊誌から「バンチ」の名は引き継ぎました。
バンチは葡萄など果物の「房」という意味もあり、ちょうど新潮文庫のマークも葡萄ですが、週刊誌の創刊時に新潮社全社員から募集して決めたタイトルでした。ちょうどその頃にコアミックスで『ワイルドバンチ』という西部劇の映画を見せられました。〝ワイルドバンチ〟は〝ならず者たち〟のことです。
映画は時代遅れのカウボーイたちが最後に一花咲かせる話です。
バンチは後発の雑誌だったので、「漫画家も出版社も最後に一花咲かせて、世間に目にもの見せてやろうじゃないか!」という気概が込められています。
コアミックスと分かれるにあたって、堀江さんから「〝バンチ〟はお前らが継いで、ちゃんと根付かせていってくれ」と言われており、その思いも受け取りました。
特に僕は、週刊誌休刊の時、大きな後悔がありました。
当時、売上が下がってるなとは思いながらも、日々の忙しさもあって「まさか終わらないだろう」とそこまで本気にしていなかったんです。それから休刊が決まり、終わるときは一瞬なんだと愕然としました。
「まだまだできることがあったんじゃないか?」というこの後悔は一生忘れません。だから今も、先送りはせずやれるだけやってやろうという思いで日々取り組んでいます。
2010年9月に神楽坂に移って翌年1月に「月刊コミック@バンチ」の第1号を刊行しました。創刊時に掲げたキャッチコピーは「フツーな漫画はもういらない。」、Oさんが考えたものですね。
創刊号を作る前に書店に調査に行き、「こんなに漫画があるのに今から作る意味があるのかな、もう一生読めるだけの漫画があふれているのに」と感じ、「だったら、今まで見たことがない漫画を作れたら読む意味があるんじゃないか?」と思い至って、生まれたコピーでした。
週刊誌時代にはルールの決まった青年誌を作っていたので、そこから解き放たれたというタイミングとも合っていたと思います。
ラインナップにはそのコンセプトに合った斬新な作品『最後のレストラン』『ヒル』『寿司ガール』などが加わりました。
僕はもともと週刊誌休刊の年に編集部に出向し、すぐには1週間ペースで描ける漫画家も見つからず、新規の依頼も難しい中で、「今は次に向けた準備、種をまく時期だ」と考えて取り組んでいました。それが実ったのがこの時期です。無念が晴れる思いでした。
「月刊コミック@バンチ」第一号。
再出発を支えた〝普通じゃない〟作品たち。
5、6月にはバンチコミックスの刊行も進めました。コミックスで利益を出さないといけませんから、そこにも全力で集中しました。
実は、僕ら編集者たちが毎月、日本全国の書店に直接宣伝して回っていたんです。
今はもちろん営業部と連携しますが、当時はまだ協力体制が整っておらず、地方に作家さんがいて打ち合わせがあるときについでに寄るというていで、僕らが直接訪問しました。複製原画などの店頭用宣伝物を用意し、皆でエリアを手分けし回りました。
このとき、コミック担当のいわゆるカリスマ書店員さんが大勢応援してくれました。
「自分の目利きで、世間にいい作品を広めるぞ」という熱量のある方が多く、大手のヒット作よりも、知る人ぞ知る味のある作品として押し出してくれました。
それがやっぱり大きかったです。当時は次にヒットを生み出しそうな雑誌や期待のできる雑誌といったランキングでトップ3に選ばれたこともありました。
「面白いことをやってる雑誌だ」という期待感は、書店員さんや読者にも広がってきた時期だった気がしますね。
「月刊コミック@バンチ」は「ビッグコミックスぺリオール」や「アフタヌーン」などの並びに入る青年誌ではありましたが、女性作家さんも女性読者も増えていったんですよね。
それが意外でした。『GANGSTA.』や『軍靴のバルツァー』など、男性向けに作っていたつもりの作品にどんどん女性ファンがついて。
いわゆる青年漫画のカテゴリの中ではややはみ出るものを作っていて、たとえばマキヒロチ先生の『いつかティファニーで朝食を』もその一つですが、女性作家さんが朝食をテーマに青年誌で連載する、という新しさも受けたんじゃないかと思います。
男性向けの青年誌に女性向けも入れ、ジャンルも細分化し何でもありになっていく中で、作家さんからは「闇鍋雑誌だね」と言われることもありました(笑)。
それで「自分の描きたいものが、ここなら描けるかも」と、どんどん持ち込んでくれる方が増えました。新人さんも目指す媒体になったのが嬉しかったです。
この流れの中で、女性読者が多い作品はコミックスが売れやすい傾向に気づき、2013年10月に女性向けに特化した増刊号「ゴーゴーバンチ」を僕が編集長として創刊しました。『GANGSTA.』のコースケ先生の新作や、『鹿楓堂よついろ日和』、『いつかティファニーで朝食を』スピンオフなどがラインナップでした。
同じく2013年に僕がWEB漫画サイトとして「くらげバンチ」をスタートしました。
これらは単行本の点数を増やす目的もありました。1誌だけでは毎月約3点が限度なので、紙の増刊号とWEB両方で作品を増やしました。
この頃はもう大手他誌も赤字で大変だという話がよく出ていました。
僕は紙にこだわる気持ちは薄く、例えば雑誌が5000部しか売れなければ読者は5000人以上には広がりにくいところ、WEBで無料ならもっと多くの人に読んでもらえるじゃないか、と考えていました。WEB漫画サイトは2008年にスタートしたスクウェアエニックスの「ガンガンONLINE」や2012年の集英社の「となりのヤングジャンプ」などがありましたが、まだまだ出始めでした。でも僕は当時から、そのうち全雑誌がWEBに行くのではとも思っていて。それで「くらげバンチ」もスピード重視で、低予算で一気に作りました。
キャッチコピーは「しびれる漫画」です。ネットでバズるためには、刺激も必要ですから。アイコンもくらげのキャラクターにしました。
くらげでは『お前はまだグンマを知らない』『働かないふたり』『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』などを連載し、大ヒット。7、8割方映像化しました。
WEB漫画サイトが今ほどはない時期の物珍しさと、時代の勢いに遅れずに乗れたのがよかったと思います。
余談ですが、実はまだ僕たちがコアミックス出向時代の2007年に、新潮社コミック事業部が完全デジタルの月刊漫画誌「デジコミ新潮 com2(コムコム)」というものを刊行していたんですよね。海外展開も視野に進めていて業界内でもかなり先取りでした。しかし先行しすぎたのか、このときはうまくいかなかったようです。
「くらげバンチ」は順調に継続し、今年13周年を迎えます。よいタイミングでスタートできました。
くらげのスタート時はあくまでも「月刊コミック@バンチ」があったので、王道はそちらに任せて、こちらは変わったものだけやろうと、思い切れたのもよかったと思います。
そうですね。それから「月刊コミック@バンチ」は2018年に「月刊コミックバンチ」にリニューアルし、キャッチコピーは「王道と革新」になりました。
紙で王道を、WEBのくらげで革新をと、より住みわけをしていったんです。
同じくどの出版社もWEB漫画はバズり狙いのショートコメディが中心、紙の雑誌に骨太なストーリー性のある作品を載せる、という傾向がありました。
それがこの4、5年ほど前から、ストーリー漫画もWEBで売れてくる現象が見えてきたんです。
それならばと、2024年3月に「月刊コミックバンチ」は休刊し4月にWEBに完全移行した「コミックバンチKai」として再スタートすることに決めました。
新潮社のこうしたWEB化への取り組みは業界の中でもかなり早かったです。
もちろん、紙の漫画誌を完全にゼロにすることは、感情の面では悩む部分はありました。しかし赤字にしかならない紙媒体に固執したところで、読んでもらわないと意味がないと考えたんです。
僕たちはゼロから始めていたので、この身軽さも強みかもしれないですね。
伝統ある大手他誌に比べても、判断はしやすかったと思います。
このあともすべての紙の雑誌が一気になくなるということはないでしょうが、初めから紙を出さないボーンデジタル作品も増えていますし、紙の売上の減少はやはり避けられないと考えています。
今、「コミックバンチKai」は、いわば紙に閉じ込めていた王道作品たちをWEBに解き放ち、また新しく見つけてもらっている段階です。WEB発の大ヒット作はまさにこれからでしょうね。
WEBでハネやすいくらげ作品と違って、ストーリー性の強いKaiの作品は作るのに時間がかかります。これから新連載も始まっていくので、楽しみにしていただきたいです。
あとは、ちょうど2025年11月から「くじらバンチ」という漫画アプリを始めました。
これはくらげの読者からずっと要望がありました。
今の読者は「LINEマンガ」、「ピッコマ」など大体アプリで漫画を読んでいますよね。ただ、そうしたアプリも自社のオリジナル漫画を作り始めていて、他社の漫画の置かれる位置はどうしても変わってきました。
それに、アプリがメインの時代にアプリがないという状態も避けようと考えました。
「くじらバンチ」というネーミングは、くらげと印象を似せつつ、「Kai」の海、櫂(オール)とも合わせ、海の生物にしました。アイコンイラストはくらげ発の大ヒット作『極主夫道』のおおのこうすけ先生作です。
走り出しは順調で、くらげの1ヶ月のアクセス数150万人をまずは上回りたい。
そして漫画アプリをきっかけに、新潮社のコミック作品を知ってもらいたいです。
まずは知ってもらうことが大事ですね。僕は今、コミック事業本部とIP事業本部を兼務し、新潮社コミックのIP利用の管理や推進の仕事をしています。
やっぱり就活生の皆さんの中にも、「原作漫画は知らないけど、アニメは知っている」という人が多いんじゃないかと思うんです。
同じく世界でも今翻訳されて読まれている作品は、アニメ化した作品ばかり。実際、『極主夫道」もアニメ化しNetflixで配信され、世界中でとても売れてます。
先日、アニメ化が発表された『ガールクラッシュ』も大ヒットの可能性を秘めています。
知っている人が世界中に広がるアニメ化の道も視野に入れた上で、キャラクターが魅力的な作品を作ることは、今後ますます重要になります。
新たに漫画アプリ「くじらバンチ」もスタート!
新潮社のコミック部門は歴史がまだまだ浅い分、チャレンジしきれていないことも多いんです。つまり、皆さんの意志やアイディアで開拓していける余地があり、それは面白いことだと思います。
僕は、部員から「こんなことをやってみたい」といわれて、ただ「ダメ」と止めたことは基本的にありません。「くらげバンチ」のときも「くじらバンチ」のときもそうです。BLにしぼった「C-KANATA」というレーベルは女性社員が立ち上げました。
もちろん大掛かりなプロジェクトはしっかり企画化し、ブラッシュアップしていく必要がありますが。
チャレンジをしやすく、仮にそれで失敗をしても「チャレンジしないよりはいい」という風土があります。
僕たちは、やらない後悔の方が残るのを知っていますからね。是非様々なことに挑戦してみてほしいです。
編集部の雰囲気は風通しもよいですよね。
はい。漫画編集者は個人の仕事が多いですが、最近は部署内で意見交換の機会をもっと増やし、チームで作っていこうと取り組んでいます。
それと、他社と比較しても魅力だと思うのは、やはりジャンルがかなり幅広いことです。少女漫画も女性向けも男性向けもできるのは、他社ではあまりないのではないでしょうか。作家さんと担当編集者が「自分はこれがやりたい」と思うものが実現しやすく、どんなジャンルをやりたい方でも受け入れられる間口の広さがあります。
もちろん「王道」も求めています。王道が一番難しいです。
そうですね。間口を広く、しかし読者へのフォーカスは絞り込みながら作っていくことが重要だと思っています。
WEBでの話題性ばかりを狙うのではなく、既存の作品で読者が付いているキャラクターやストーリーをきちんと分析し、読者が求めるものは何かを追求すること。読者を置いていかない作品作りを目指したいですね。
漫画は本当に夢がある世界で、1,000万部の大ヒット作品の担当者にだってなれるわけです。挑戦への意欲があることがまずは大事です。
ただ、漫画が好きというだけだと難しいかもしれません。例えば海外ドラマが好き、ミステリー小説が好きなど、そのほかの分野でも好きなことがある人が望ましいです。漫画が好きというだけで漫画を作っていると、縮小再生産になってしまいかねません。是非違う世界から魅力を持ってきてください。
また、IP推進が課題になる中で、アニメが好きな人やIPビジネスに関心がある人も新潮社に来ていただけたらと考えています。
夢があるとはその通りで、作家さんと担当編集で世の中をちょっと変える、世界にちょっとインパクトを残せる仕事は、やりがいがあります。成熟した会社に比べて、伸びしろがあるのも新潮社コミック部門の魅力です。あと、老舗出版社としての信頼性があります。
僕は、新潮社は「文芸におけるジャンプ」だと考えています。出版業界で文芸のトップの会社です。本屋大賞『成瀬は天下を取りにいく』や、映画化もした『#真相をお話しします』などの小説、新潮新書の『ケーキの切れない非行少年たち』他ノンフィクション系など、すでにコミカライズも話題ですが、こうした強いコンテンツを自社で漫画化できることも強みです。この新潮社が持つ文芸の財産とも一層連動しつつ、コミック部門の飛躍を続けていきたいと思っています。
是非、その一員となってくれる方をお待ちしています。